昨日の鶏そぼろ丼をアップした後に、写真内をお弁当で検索したら、4年前まだ高校生だった息子に作ったお弁当の写真が出てきたので、懐かしくて振り返ってみました。
肉、肉、肉ばかりで思わず笑います。
とにかく、肉を入れてくれと強い要望があったことを忘れません。肉と米の2種でいいとも言われました。私は肉も入れるが野菜も入れる。
同じ果物も連日続いていたり、何かと笑える。
そばめし(ご飯と焼きそば)とオムライスよく作りました。
肉巻きおにぎりも、友人に教えてもらって何度も作りました。友人お勧めはいい牛肉でしたが、私はもっぱら豚肉でした。5個も入る大きいお弁当箱です。これは蓋にヒビが入って、後日さようならしました。
白米に鯖の味噌煮缶を持たせていたなんて。本人の希望だったのか。
夏には、麺類も所望されました。そーめんだけでは足りなそうですね、今思うと。
懐かしの、PPAP。パンパイナッポーアッポーパンもありました。早弁用か?どんな味のパンだったのか?お弁当よりもそっちが気になる。
白飯の時は、ふりかけも漬物も入れてくれるな、と言われた記憶もあります。
そういえば、お弁当箱は自分で洗いなさいと何度も言って、言うことを聞かない息子とイライラする私という場面がよくありました。結局は夫が洗った時が多かった。嫌な空気になる位なら、夫自ら息子の弁当箱を洗うの図がよみがえる笑。
部活と往復20キロの通学でクタクタの息子。
私も当時往復3時間のストレスフルな満員電車と通勤と仕事で連日へろへろ。夫が2人を助けてくれたんだと今ならわかります。
お弁当箱を持ち帰るのを忘れた時のために、洗ってない時のために、お弁当箱のバックアップは必須でした。
曲げのわっぱの2段の弁当箱は夫と結婚した時に購入したもの、29年経過してもまだ何ともないって、すごいです。この二段の量を完食できる人は今家にはおりません。夫は食べちゃあかんでしょう。
お弁当作れない時は五百円玉を渡したことも数知れず。
当時は夢中で作っていたけど、今となっては何を作っていたのかも覚えていない。
今や、食卓に肉が出るのは一週間に一度位になりました。
懐かしいお弁当の写真でした。
息子に会いたくなりました。
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